同窓会報 第四号『6期生が造った校舎』 那覇高6期 名城 潔

城岳同窓会会報 第四号


6期生が造った校舎

那覇高6期 名城 潔

6期生が入学した昭和25年頃の在校生は8百余名で、校歌3番は「燃ゆる理想の八百の若き力」と歌っていたのに、その後、転入生がどんどん増え、2年生 になると「・・千百の若き力」と歌ったものだ。昭和26年頃には、教室はすし詰め状態になり、山城組の設計施工のもとに、ブロック造り2階建10教室の校 舎を建築することになったが、予算が足りなかったため、この千百の若き力が活用されることになった。
5期生に作業をさせても、新校舎を使用しないまま卒業することになり、気の毒だということで、校舎造りには、主として6期生の力が活用された。
男子生徒は、トラックで、砂を与那原の砂浜から運んできて、手作業で、校舎建築に必要な全部のブロックを造りあげ、女子生徒は、採石場から運び込まれた石塊を、金槌で砕いて必要なバラスの全部を造った。
基礎工事の穴掘り、ヨイトマケを使った地固め、スラブ打ちに際してのバケツリレーによる生コンの運搬にも生徒の力が活用された。
ブロックの積み上げ、柱、梁、天井などの型枠作り、配筋、ガラス窓のはめ込み、壁、天井等の仕上げのモルタル塗り等は全て専門業者によって行われ、単純労働部分に生徒の力が活用された訳である。
昭和27年6月新校舎完成と共に、ご褒美として、6期生10クラスの全員が、新校舎に入る事ができた。2階は5教室ぶち抜くとホールとなったので、6期生からは、運動場ではなく、屋内で卒業式を挙げることが出来るようになった。

校舎が完成した直後に、那覇定時制高校が発足し、新校舎は、定時制高校の教室としても使用され、当分の間は、学内だけでなく、新聞社主催の文化講演等の会場としても利用された。

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