3月9日は晴れの日よりだった。気温も16度、街にほとんどコート姿は見かけない。島唄会、ことし2回目の日だ。場所はいつもの五反田「結いま~る」。
きょう開幕のお話しをされるのは、城岳同窓会の会長、山路大先輩だ。12時半にはすでに姿をみせられ、長老の池ノ上、藤井大先輩、それにリーダーの長嶺さんと揃われた。会の”意気込み”が感じられた。まもなく出席者16名がそろった。
定刻13時には、まずオリオンビールで乾杯だ。これはすばらしい、いっぺんにさあやろうという雰囲気になる。大半の人はおよそ2か月ぶりの顔合わせだ。料理もそろった。
クファージューシー、ゴーヤー、ターウム、魚のてんぷら、クーブイリチー、それにモズク、まさに沖縄の味だ。
食事をしながら、山路さんの話が始まった。
配られた資料がすごい、200年~300年も前からの系図、これまでに新聞等に投稿し掲載された印刷物、小学校、高校、大学それぞれの時代の同期の文集などなど。
結 婚されて山路姓になったが、その前の徳田姓は王家あるいは親方の系図をたどる名門中の名門だ。そんなお話を伺っていると、大先輩の風格が一層気品に満ちて くるように思えるものだ。大学は明治大学、寮は当時沖縄の学生があこがれていた東京狛江の南灯寮、空手の達人で寮長も務められた。まだまだ落ち着かない時 代の沖縄の学生寮の寮長にははかりしれないほどのご苦労があったようだ。
大学を卒業され入った銀行で上司に見込まれ一番出世となり結婚、このと き徳田から山路にかわったのだ。そして今住まわれている一帯のあとを継ぎ、まあいわゆるニュー徳田、山路としての人生が始まったと言えるのだろう。那覇会 をはじめいろいろな沖縄関係の仕事を手伝っているうちに、しだいにご自分が引き受けるようになったいきさつ等たんたんと話された。みな静かに聞き入ってい る。しっかり揃えた資料に基ずいてのお話だ。当時の世相も想い浮かぶ。会社をつくり今日にいたるまでの話でしめられた。よくご自分を見つめておられるし、 困難な時を強く生きてこられた沖縄の学生の典型的な姿であろう。
話がひといきつくと、藤井先輩がすぐに手をあげて発言された。「山路さんはまさに将の将たる所以だ。今、話をきいて改めて認識した」と話された。ついで数人から質問や感想が語られ話の余韻がしばらく続いた。
食事も終わり、唄会が始まった。長嶺さんによると、この会はすでに20曲以上練習したという。プリントが配られた。
1 安里屋ユンタ 2 19の春 3芭蕉布 4島唄 5てんさぐぬ花 6西武門節 7弥勒節 8ぼけない小唄9汗水節 10童神 11涙そうそう 12んま り島 13沖縄育ち 14花 15二見情話16なんた浜17マシュンク節 18島人ぬ宝 19砂辺の浜 20唐船どーい 21娘ジントー
いやはやたいしたものだと、感心したが、残念ながら曲と歌詞がすぐには口をついてでてこないものが多い。
新しい曲と練習した曲との組み合わせの練習も必要だったのかと反省の念が浮かんだ。
きょうの三線は、長嶺さんに歌田さんが加わった。
まず娘ジントヨー
南風吹けば 咲花の美らさよ
島の美童の ジントヨー 想い染めてよ
ジントヨー ジントヨー
曲もじんとくるものがあるし、5番までの歌詞もいかにも沖縄らしくて風情がある。これは楽しみだ。気のせいだろうかみんなの表情も柔らかい。
このあとこれまでに習った唄を5曲ほどうたった。総会の発表会までに3~4回の練習日がある。やはり習ったものはしっかりと覚えこまないと、反省もした。
会の終りの頃には特注の泡盛も出回った。ゆっくりとリラックスできる時間だ。
文字どうり「結ま~る」だ。こうした「和」は大切にしていきたいものだ。
次回は5月11日(日)13時 同じく結ま~る