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【関東城岳同窓会会報 第9号】 城岳同窓会懇親会記念誌より

能ある鷹は爪隠す・・二中29期・北村紀雄君のこと

「ノリオ!お前は遊ん でばかりいると思ったのに…実力があるんだなー」。戦前全県下中学生対象の模擬試験で成績上位5名の中に見事に入った北村紀雄君に向けた2期先輩の感嘆の 叫び声である。同期の私の回想でも、紀雄君は学内で休み時間にきまって校庭の隅の塀を乗り越えてあん餅を買い求め、塀内で待ち受ける悪友どもにポンと投げ 渡し共々にうまそうに食べながら談笑していた光景が思い浮かぶ。

戦前生徒達は買い食いとか、一人で映画館に入るとか、町廻い(マチマー)とかは厳に禁じられており、それに反する行動は不良のイメージが強かった。
紀雄君は品行方正のガリ勉タイプには程遠い感じであり、むしろ同期生の柔道の猛者共の稽古台を買って出るなど男同士の肌と肌の触れ合いを通じて多くの友人との絆を深め、時には他校との小競り含いで先頭に立つなど果敢な少年だったのである。

同期の私が紀雄君の生い立ちを知ったのは、ずっと後のことである。
彼 は1932年(昭和7年)、母や兄と共に先に単身赴任していた父の下に兵庫県北部の日高町から沖縄へ渡ったとのこと。彼が7歳の時になるが、尊父秀一様 (戦前、沖縄農事試験場長、東大・農卒)と尊母栞様(旧東京女高師、現お茶の水女子大卒)共々子供の教育に熱心であった。当時最も優れた小学校と定評が あった甲辰小学校に行かせるべく、官舎に入らず、わざわざ近くの借家へ入ったという孟母の教えを実践に移された。

昭和10年前後から、甲辰→二中は秀才コースといわれ、先生に「二中は無理だ」と言われた者が一中に行ったものだと大先輩の白慢話が伝えられている。

二中に進学した彼は生意気(ナマチャー)の中学生を演じていたが、実は密かに本を詠みすぎる程の勉強家だったのである。その為、近眼になって、憧れていた 海兵を断念し当時難関校といわれた海軍経理学校へ沖縄から初めて入る実力ぶりを発揮した。彼の話によれば、二中時代に柔道や町廻いで鍛えてあったので、 カッター、陸戦、遠泳等激しい訓練も何のそのだったようだ。

しかし、残念ながら敗戦によって多くの若者の夢が途絶したのであるが、彼は向学の志もだし難く東京商科大学(現一橋大)に入り直して勉学一途に励んだ。卒後の彼は日銀検査役、山種証券専務等を歴任、着実に人生を歩んできた。

二中29期生は今や82歳の高齢となっているが、沖縄の各界各層で活躍した者、更に活躍中の者など多くの優れた人材が輩出し、また本士在住でも紀雄君のよ うに現に公認会計士の業務に携わり、矍鑠(かくしゃく)としている者もいる事は関東城岳同窓会の誇りとするところである。

「能ある鷹は爪隠す」は、ウチナーでは“隠れ武士小(ブシグァー)”とも言った。昔、佐賀藩で武土の心構えを説いたといわれる「葉隠」にならったものであろうか。北村紀雄君のイメージにピッタリという感がする。

(紹介文:二中29期・小宮永史)

【北村紀雄、二中29期】
大正15年生。昭和18年二中卒業後、海軍経理学校、東京商科大学(現一橋大)で学び、昭和50年日本銀行福島支店長、52年同検査役、59年山種証券専務取締役、平成7年公認会計士、税理士。

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