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「イキイキ6期生」 (同窓会報第六号)

那高6期 名城 潔(弁護士)
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6期生は、昭和9、10年生まれで,今年3月までに皆が古希をむかえた。
世間では「イキイキ6期生」と呼ばれているとのことであるが、男性は,いささかくたびれて,生き生きはしていない。しかし、6期生会の会長は女性である事からもわかるように,女性は若々しく,ピチピチしていて、「イキイキ6期生」の名にふさわしい。

2年前の平成15年11月に,卒業50周年祝賀会を那覇市パシフィックホテルで開いた。卒業生473名(物故者65名)中236名が出席(出席率58%)、海外や県外からも22名が出席した。

卒業50周年を迎え記念誌を発行した。1年間に編集会議を延べ50数回も開き,集まった写真が200枚を超え、80人以上の原稿が集まった。出来あがった記念誌には写真が196枚、クラス毎のエッセー、年表などが収められ、50年の思い出がぎっしり詰まっている。

我々は昭和16年に国民学校へ入学した。4年生(昭和19年)の2学期から学童疎開が始まった。
船団を組んで航行中,僚船の「暁空丸」から撃沈された「対馬丸」を目撃したものもおれば、「対馬丸」の生き残りもいる。

戦後は小学校7年生(昭和22年)を終了すれば、高校へ進学できるはずだったのに、23年4月から新制中学が発足して,中学2年生となり,25年に新制中学を卒業して、やっと憧れの那覇高校へ入学することができた。

高校1年の2学期から単位制が導入された。大学と同様に,時間割は自分で組み,毎時間教室を移動した。高校2年生になると、ブロック造2階建10教室の校舎建築へ相当の時間を割きながら勉学に励んだ。

昭和27年から本土への渡航が緩和され,3年生の3学期半ばからは怒涛のように白山丸や白雲丸に乗って本土へ進学して行った。
我々の先輩方は,疎開先で旧制中学へ入学して那覇高校へ転入した人,小学校から進学した人,新制中学から進学した人様々だが,6期生は国民学校から那覇高校入学まで皆が足並み揃えて進んできた。

6期生は、このように、変化の激しい時代の共通体験と足並み揃えての進学の結果,絆が強いのではないだろうか。

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