《島唄の会》 10月例会の報告     会長 山城孝夫(那覇校10期)

10月27日(土)は、ひさしぶりに、関東地方に台風が大接近してきた日だった。
朝からの雨、予報では夕方からさらにひどくなるというものだった。島唄の会が総会で発表する前の最後の稽古の日だったの心配したが、予定の13名は全員出席された。とくに遠い群馬県高崎市から西村常子さんが新幹線でかけつけてくれたのは感動的だった。
13時、まず食事で始まった。軟骨ソーキ、大根、昆布のニシメ、ゴーヤ‐チャンプール、クーブイリチー、たまご、タクアン、それにオリオンビールとデザートのりんご。 見た目も実際も十分に満足できたものだった。

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今日のスピーカーは、会の最長老組のお一人、池ノ上光夫さんだ。いわゆる自分史だ。8月頃から伸ばし始めたヒゲはすっかり顔になじみ80才とは見えない 若々しさだ。戦前の沖縄電力に勤めておられたお父様との数々の思いで。二中時代のバスケット部では、体力つくりのためマラソンや遠泳がとくに苦しかったこ と。そして思いでの中には近くの一高女の生徒にからかわれたこともあるという。
世界の七つの海を巡ることを夢に抱いて本土へ。神戸商船に受かっ たものの入学前に学校の校舎が全焼してしまい人生の方向を大きく変えざるをえなかったこと。 戦後はもともと好きで勉強していた英語にさらにみがきをかけ て、東京のチェース、マンハッタン銀行に入社され、以来35年自由な空気の中で生活をされてきたこと。沖縄の戦前の生活、習慣等、戦後の混乱した時代の様 子などこまやかに話された。
一段落されると、すかさず同期の藤井和雄さんが、一緒に過ごした那覇の様子の補足説明をされた。沖縄電力から流れでるお湯で体を洗う人たちがいたことを話すと、長嶺紀晃さんが僕も冬になると冷たい足を、あの暖かい流れに入れて暖めたりしたものだとあいずちを打ったりした。
当時を全く知らない若い人たちも、そんなやりとりを興味深げに聴いていて、しばらくは遠い当時をしのんでいるようであった。
本番まえの最後の唄の稽古に入った。「故郷」=うまりじま= は山路会長の名訳だ。
うーさーじ うわーちきたる あーぬーむーいー
たーいゆぐわ ちーんし あーぬーかーらー
いーみーや なーまーん うびんーじゃすーさー
わーしーり  らーらん んまりーじーまー
2番3番の歌詞も唄い易く、やはり名訳だ。三線にはいつもの長嶺紀晃さんのほかに21期の歌田峯子さんも加わった。息の合ったペアーだ。ついで”汗水節” これはこれまでの練習の成果で3番までスムーズに唄えて、長嶺さんのOKがでた。本番がまちどうしくまったものだ。
ついで琉舞の先生、五ノ坪すえ子さんの”鷲の鳥”。鷲が生まれた”ひな”の無事なる成長を願い、見守り大空高く舞い上がっていくという意味のもので、お祝 いの時に、唄い、舞う代表的なものの一つだ。三線に合わせて踊る姿は力強く、そしてこうごうしくさえ見えた。舞い終わるといっせいに拍手があがった。本番 の総会ではこの後、藤井和雄さんが手品を披露する。さまざまな才能にめぐまれている人だ。出し物は得意ものの中から二つということだが、どれとどれかは、 本番のお楽しみというところだ。
ところで、次回からの練習会は月の第二日曜日ということに決まった。場所はこれまでどうりの五反田の「結いまーる」。時間も午後の1時からだ。出席が可能な人は是非参加していただきたい。本番の後は来年1月の第二日曜日、13日が新年会をかねた第一回の集まりとなる。
こんなことを決め、稽古後の泡盛で一息ついたころ、外は暗く雨音も激しくなっていた。
午後4時早々に閉会し解散となった。
出席者: 池ノ上光夫  藤井和雄 豊里光夫  宮里育宏 長嶺紀晃 山城孝夫 福永忠彦
比嘉良智 小澤貞子 泉幸子
西村常子 五ノ坪すえ子 歌田峯子

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